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北京駐在スタッフの随想

No.008 「肝炎患者の権利」

2016年11月21日
特任教授 林 光江
中国には肝炎患者が多い。中国国家衛生部門発表の法定伝染病統計によれば、2015年の一年間、新規発症者の最も多かった感染症は手足口病で約199万7千症例、次にウイルス性肝炎で約121万9千症例、その他感染性下痢(コレラ、赤痢、チフス、パラチフス以外の感染性下痢)93万8千症例、肺結核86万4千症例と続く。ウイルス性肝炎患者の死亡者数はエイズ、肺結核、狂犬病に次いで四番目に多く、ウイルス性肝炎の中ではB型肝炎が発症例、死亡例ともに最も多い。今年7月WHO駐中国代表の報告では、中国にはB型・C型肝炎ウイルス感染者が約1億人おり、これは13人に一人の割合となる。
このように肝炎ウイルスの感染者が多い中国では、大学入学や就職の際に感染者を排除する状況が長いあいだ続いていた。現在、われわれが連携研究室をおいている中国科学院の研究所でも、スタッフの入所時に健康診断結果の提出が求められるが、その内容は胸部レントゲン、心電図、血液一般検査、肝機能検査、腹部エコー、尿検査という基本的なものである。しかし2010年の中国政府通達(後出)公布まで、これらのほかに「乙肝五項(B型肝炎5項目)」の検査が含まれていた。検査の結果、B型肝炎ウイルス陽性であると判明すれば、たとえ厳しい受験競争に勝ち抜いて大学に合格しても入学を認められず、仕事につくことも難しかった。B型肝炎、C型肝炎は血液や体液を介して感染することが知られており、一緒に食事をするなどの共同生活で感染することはない。しかし、このような検査要求と処遇があったことは、肝炎ウイルスに対する理解が不足しており、感染者が同じ教室や職場にいると自分も感染するのではないかという恐れや偏見が人々の間に根強く存在していたことを示している。
このような差別を打破するべく、2010年2月、中国の人的資源・社会保障部、教育部、衛生部は3省庁共同で「入学および就業に伴う健康診断項目の一層の規範化とB型肝炎Hbs抗原保有者(感染者)の入学および就職の権利の更なる保護に関する通知」を公布した。この通達によれば、入学時または就職時に課せられる健康診断で「B型肝炎5項目」の検査を行ってはならず、また入学者や就業者に対して感染者かどうかの確認を行ってはならない。肝機能の検査は必須とするが、その検査結果が正常であれば、それ以上の検査を強制してはならないと定められている。これにより、B型肝炎感染者であっても肝機能に異常がない限り、入学や就業の権利が保証されたわけである。
中国では大学の多くが国立大学であるため、入学時の健康診断に関してはこの規定が厳しく守られているようだ。また公衆浴場、理髪・美容などの業種では肝炎検査を求めるのも妥当だと思う。ところが、それ以外の業種でも独自にB型肝炎の検査を求める会社があるようで、インターネット上の質問サイトには「就職時の健康診断で肝炎が判明したが、どうしたらいいでしょうか」、「まもなく30歳になる教員です。最近職場の健康診断で肝炎ウイルス感染が分かり、教育局から労働契約解除を求められています」、「就職のための面接をしてみて多くの会社が肝炎検査を必須としていることが分かりました。労働局に問い合わせたところ、確かにそういう(B型肝炎検査を禁じる)通達はでているが、実際どうするかはそれぞれの会社に決定権があるといわれました」など、職業上の権利を脅かされて悩む人たちからの相談がいまだに見受けられる。
幸いなことに回答欄には「肝機能の検査結果が正常なら大丈夫なはずですよ」とか、弁護士らしき人からの「B型肝炎感染者の就業の権利は公的に認められているので、それを理由に雇用者が採用を取りやめ、あるいは解雇した場合は起訴することができます」といったアドバイスが寄せられている。上記の政府通達公布からまもなく7年。中国社会の中で肝炎患者に対する理解が徐々に広まり、公正な権利が認められる方向に進んでいることは確かである。