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北京駐在スタッフの随想

No.021 「中国のポリオをめぐる日中協力」

2019年1月28日
特任教授 林 光江

中国で広く使われて来たポリオ(急性灰白髄炎、小児麻痺)ワクチン「糖丸(タンワン)」の生みの親が亡くなったというニュースが流れてきた。顧方舟(GU, Fangzhou)教授(享年92歳)は、かつて北京協和病院の院長も務めたウイルス学者であり、医学教育者でもある。幼い頃に黒熱病で父を亡くし、助産師として一家を支えた母の姿を見て医学を志したという。名前と「ノアの方舟」とをかけて、顧教授は「中国の子供たちを『健康の方舟』に乗せた」と称える記事もあった。

中国では1950年代にポリオが大流行した。1951年第一期留学生としてソ連に派遣されていた顧方舟は55年に帰国後、ポリオの研究を命じられ、患者からポリオウイルスを分離同定した。59年顧方舟は研究班を連れて再びソ連へと向かい、ワクチンの製造工程を学び、翌年、雲南省昆明に医学生物研究所を建て、実用のためのポリオワクチンの開発に着手した。

ポリオワクチンには不活化ワクチン(Salkワクチン)と生ワクチン(Sabinワクチン)の2種類があり、国家としてどちらを選択するかが大きな問題だった。ウイルスの感染性をなくして、免疫をつける成分を残した不活化ワクチンは、安全性でまさるが費用がかさむ。一方、感染性を弱めた(弱毒化)ウイルスを使って体内で免疫をつくらせる生ワクチンは製造コストが少なくすみ、効果も確実である反面、そのウイルスが体内で変異を起こして(強毒化して)増殖し、発症をひき起こす可能性も否定できず、またワクチンを飲んだ子供の便に排出された強毒ウイルスが周囲の人への感染を引き起こす恐れもある。

中国共産党と国民党による内戦の傷跡がまだ癒えず、貧困の中にある中国の実情を鑑みて、顧方舟は低コストの生ワクチンを選んだ。彼が作り上げたのは、小さな球状の砂糖菓子に生ワクチンをしみこませたもので、中国では「糖丸」と呼ばれている。冷蔵庫、保冷バッグなどのコールドチェーンが整っていない時代、液状のワクチンは保管や輸送が難しく、「糖丸」ならば魔法瓶に氷を入れて遠くの地域に運ぶことができた。

この「糖丸」は数年前まで中国国内で流通する唯一のポリオワクチンで、1960年代以降に生まれた人には馴染みの深いものであり、このワクチンによって中国は2000年にポリオ撲滅を宣言することができた。近年、費用自己負担の不活化ワクチン注射も導入され始めたが、「糖丸」は今でも無償の「第一種」予防接種として使われている。

「糖丸」に始まる中国のポリオ制圧までの道のりをたどる中で、日本の国際支援が欠かせない役割を果たしていたことを思い出し、一冊の本を手に取った。国際協力事業団(JICA、現・国際協力機構)中国事務所副所長を努めておられた岡田実氏(現・拓殖大学教授)による『ぼくらの村からポリオが消えた-中国・山東省発「科学的現場主義」の国際協力』(2014年)である。

顧教授らの貢献により、中国ではポリオワクチンの国産化が進み、80年代には一時期、数百のレベルまで症例が減少したものの、1989年、90年には再び5,000症例前後が報告されるなど、撲滅達成までには一進一退の状況が続いていた。JICAは世界保健機構(WHO)や国連児童基金(UNICEF)と連携しながら1990年に「中国ポリオ対策プロジェクト」を立ち上げ、先ずは山東省においてワクチンの一斉投与やサーベイランス(感染症発生状況の調査・集計)体制と実験室診断体制の確立を図っていく。プロジェクトリーダーとして山東省に赴任し、9年間の長きにわたって中国各地を奔走した千葉靖男医師の献身的な努力と、それに応えようとする中国側カウンターパートの真摯な姿には胸を打たれた。求め求められる、まさに「互恵関係」といえる国際協力が行われていた。ここで詳細を述べることはしないが、特に興味深かった点を2つご紹介したい。

山東省でワクチンの投与率は約90%もあるのにポリオ症例が減らないのはなぜか不思議に思った千葉医師は、日中のサーベイランスチームを作り、病院や診療所などの施設を通告なしに訪れるなどして、実態の把握に努める。医療機関が調査を「あらさがし」と受け止めて、事前に訪問を知らせると資料を隠し、その場を取り繕うなど、なかなか本当の情報に触れることができないからだ。もし遺漏や不備が見つかると、責任を追求され、出世に関わると思って警戒するのである。しかしそこは身内同士でなく、外国人である千葉医師が熱心に関与していくことにより、問題はそこではないと徐々に理解していく。また中国側スタッフの丁寧な説明もあり、サーベイランスチームの情熱に感化されて、協力するようになっていく。第三者だからこそ出来ることだと、千葉医師は語る。面白いのは彼自身が「日本の地方と中央の関係も、中国と似たようなもの」で、「例えば、厚労省の官僚が札幌市内の保健センターに出向いて実態を調査する」などありえないと言っていることだ。普通は地方から行政ルートで上がってきた報告を、中央が受け取るだけ。日本国内で日本人が日中サーベエイランスチームのような調査をやろうとしても、習慣やしがらみが足かせになってできないということだろう。

またもう一つは中国ならではの問題で、戸籍未登録児の存在だった。本欄でも以前「中国の戸籍制度と予防接種」の中で触れたことがあるが、人口抑制政策の規定数を超える子どもには高額の「社会扶養費」が課せられるため、課金逃れのために戸籍登録されない子どもが存在する。予防接種計画の台帳は戸籍に基づいて作られているため、台帳にのらない子供たちが免疫の空白地帯を作ってしまうのである。これも政策違反者を取り締まるのではないと根気よく説得することで、次第に住民の協力が得られるようになり、空白が埋められていく。そして中国政府の承認と国家指導者による宣伝が後押しして、「第何子であろうが、登録住居地が中国のどこであろうが」全ての子どもにワクチンが行き渡ることになるのである。

中国の医療機関や住民が千葉医師と日中サーベイランスチームを受け入れたのは、「ポリオ撲滅」という目標を達成しようとする彼らの強い意志を認めたからであろう。中国に滞在する中で、外国人だから触れにくいこと、触れてはいけないことがあると、私も常々痛感する。しかし、外国人という第三者だからこそ懐に飛び込み、真実を解明できることもあるのだと気づかせられた。国際協力に必要とされる内容は、時代によって変化する。双方が納得する目標達成に向けてのグランドデザインと、個々の情熱があってこそ、より良い協力関係が成り立つのだということを再認識した次第である。