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北京駐在スタッフの随想

No.050 「呼吸器感染症の「新」と「旧」」

2024年3月31日
特任教授 林 光江

3月の北京は気候の変化が激しい。早朝の気温は零下でも、日中には20℃近くなる日がある。また雨や雪が少なく空気が乾燥していることもあり、風邪、インフルエンザ、新型コロナ感染症など呼吸器関連のトラブルが多い。私も滞在中、ひどい咳に悩まされた。

3月の北京はまた政治の季節でもある。月の初めには全国人民代表大会、中国人民政治協商会議という二つの大きな権力機関の会議が1-2週間にわたり開かれる。期間中は、日本の省庁にあたる「部」や「委員会」、「局」の責任者が質問に答える記者会見が何度か開かれたほか、会議に参加する各分野の専門家の発言がニュースで取り上げられることも多かった。

第14期政治協商会議委員であり復旦大学付属華山医院感染科主任の張文宏(ZHANG, Wenhong)医師によれば、中国はインフルエンザなど呼吸器感染症に対して定期的な早期警戒観測を行っており、実際の疾病発症データと付け合わせをしているが、この冬は通常と比べて流行のリズムが乱れていたという。

上海中医薬大学付属曙光病院呼吸器科主任の張煒(ZHANG, Wei)教授は、この冬から春にかけて呼吸器疾患は常に高止まりの状況にあったと語る。2023年10月にはマイコプラズマ肺炎が児童を中心に流行し始めた。その後、A型インフルエンザ、B型インフルエンザ、パラインフルエンザウイルス感染症が増え、大人の患者が増加した。2024年2月の春節以降は新型コロナウイルスの検出率が増加してきたという。春節前後に多くの人が全国的に移動し、また人の密集する機会も多かったことによるのだろう。

3月16日、中国疾病予防コントロールセンター(中国CDC)の瀋洪兵(SHEN, Hongbing)所長は、ワクチンと免疫に関するシンポジウムの開幕式で、呼吸器感染症の中でも特に4つの疾病、つまりインフルエンザ、鳥インフルエンザ人感染、新型コロナと「Disease X(疾病X)」が大流行の潜在的リスクを持っていると述べた。20世紀以降、世界的な大流行を起こした疾病は全て呼吸器感染症である。呼吸器疾患は病原体の種類が多く、臨床表現も多岐にわたり、伝播速度が早く、伝播範囲が広いという特徴を持つ。

「疾病X」とは、現時点では予測できないが、ヒトが罹患して世界的流行のような公衆衛生上のリスクをもたらす可能性のある、未知の疾病のことを指している。世界保健機関(WHO)が公表する「研究開発のブループリント」、つまり優先的に研究開発に取り組むべき疾患リストの中に2018年以降記載されている感染症の一つで、現在は「疾病X」以外にクリミア・コンゴ出血熱、エボラ出血熱、マールブルグ病、ラッサ熱、MERS/SARS、ニパウイルス感染症、リフトバレー熱、ジカ熱などがリストアップされている。今ではこのリストに加えられているCOVID-19も、2018年当時は「疾病X」だった。今年1月の世界経済フォーラム年次総会、通称ダボス会議でも「疾病Xへの備え」が議題として取り上げられ、世界的な話題となった。目下、日本でも新たな感染症に対する危機感を強めており、未知の「疾病X」をいち早く見つけ、対策を立てようとしている。それは中国も同じだ。

しかし、このような「新しい」感染症だけでなく、昔からある「古い」感染症にも注意が必要だと瀋所長は警鐘を鳴らしている。例えば2014年以降、中国で百日咳の発症率上昇が顕著になっており、2022年、2023年には全国でそれぞれ38,295件、37,034件の発症例が報告されたという。今年に入ってからも1月に15,275件(死亡5名)、2月に17,105件(死亡8名)が報告され、3月23日には国家疾病予防控制局から百日咳に関する注意喚起がなされている。

百日咳は百日咳菌によって引き起こされる疾病で、上気道感染の症状から次第に咳が激しくなり、発作性けいれん性咳となる。症状が2-3か月と長く続くことから「百日」咳と名付けられている。夜間の発作が多く、無呼吸やチアノーゼ、けいれんなどを引き起こすこともあり、特にワクチン接種歴のない乳幼児は注意が必要である。中国では百日咳は「乙類伝染病」の一つとして報告が義務付けられており、百日咳ワクチンは国の免疫計画に加えられている。乳幼児は生後3か月、4か月、5か月、18か月で百日咳を含むワクチンの接種を受けることになっている。しかしワクチンによって重症や死亡のリスクを低下させることができても終生免疫は得られない。現在の感染者増は、家庭内で家族からワクチン未接種の子どもに感染するケースが多いという。

また中国で大きな感染者を抱えているのが「古い」感染症の一つ、結核だ。3月24日は世界結核予防デーで、中国国内でも各地で記念活動が行われた。中国CDC結核コントロールセンターの趙雁林(ZHAO, Yanlin)主任は、中国の結核流行状況は「負荷が高く、感染者が多く、発症例が多く、報告が多い」と総括する。WHOが公表している「結核高負荷国(high-burden countries)」のうち、中国は3番目に感染者が多いという。「高負荷」とは、結核患者数、多剤耐性結核患者数、HIV合併感染者数の多さを基準にしている。結核は中国の「甲・乙類伝染病」の中で、ウイルス性肝炎に続いて2番目に感染者数が多く、毎年80万もの新規感染者が報告される。また潜伏感染者も2億を超すと推測されている。中国の中学、高校、大学は寮生活のところも多く、集団感染が起こるリスクも高い。

将来にわたって人々の安全を確保し、生活の質を高めるためには「新興感染症」、「再興感染症」いずれかに重点を置き過ぎることなく、広く目配りが必要である。