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北京駐在スタッフの随想

No.065 「食文化と感染症――肝吸虫症から考える私たちの社会」

2026年9月18日
特任教授 林 光江

8月下旬、中国疾病予防控制中心は週報「China CDC Weekly」に今年2月河南省鄭州市で起きた「肝吸虫」による集団感染の調査論文を発表した。会食で生の淡水魚を口にした5人が発症し、うち4人には肝機能障害が認められた。食材の魚は広東省佛山市から供給された草魚やアカメバルなどで、調理器具の消毒が不十分だったことも一因とされている。河南省はもともと肝吸虫症の低流行地とされていて、これまでは国内他省からの感染流入(河南省に戻ってから発症)が主であり、今回のような現地での集団感染事例は初めてだという。

肝吸虫はコイ科の淡水魚を中間宿主とし、人がこれを生や半生で食べることで、その胆管に寄生する。成虫は人の体内で20年から30年も生き続けることがあり、感染初期は腹痛や下痢といった軽い症状にとどまることが多いが、長期間にわたる感染が胆管や肝臓に影響を及ぼし、肝硬変や胆管がんへとつながることもある。感染から何十年も経ってがんが見つかり、そこで初めて過去の食習慣が振り返られる、という例も報告されている。

この事案が単なる偶発的なものとして片付けにくいのには、もう一つ理由がある。中国の国家疾病予防控制局は今年1月から、法定伝染病の統計とあわせて「重点モニタリングその他伝染病」という区分の統計を新たに公表し始めたが、肝吸虫病はその区分の公表が始まった当初から、水痘(みずぼうそう)と並んで報告数の多くを占める疾病として毎月名を連ねている。長い間目立たなかったこの感染症が、統計上あらためて位置づけられるようになったことから、公衆衛生上の課題として意識され始めていることがうかがえる。

肝吸虫症は日本でもかつて「肝臓ジストマ」と呼ばれ、広く分布していた。琵琶湖周辺、利根川や吉野川の流域、岡山県南部、秋田県の八郎潟などが流行地として知られており、これらの地域ではモロコ、モツゴ、フナ、コイといった川魚を刺身や酢の物で食べる食文化が根付いていた。戦後、日本では衛生環境の改善、下水道の整備、養殖漁業における衛生管理の徹底、そして駆虫薬の進歩などが重なり、肝吸虫症は着実に減少し、現在、日本国内での新規感染はほとんど報告されていない。

しかし、今の日本でも肝吸虫症が完全に無関係になったわけではない。かつての流行地域に長く住んでいた人の中には、何十年も前に感染したまま気づいていない人がいる可能性もある。さらに、中国や韓国、ベトナムなど、今も感染が続く地域から食材が輸入されたり、現地で生食を経験した旅行者が帰国後に発症したりすることも起こりうる。

ここで、海外の感染症をめぐる情報についても考えておきたい。感染症の問題は、時に、ある国や地域そのものへの評価と結び付けられてしまうことがある。

折しも日本では梅毒の報告数が高い水準を続ける中、その治療薬のひとつであるペニシリン製剤の供給不足が起きており、この問題は中国国内でも報道されている。今回の供給不足は製薬会社の製造設備の不具合という偶発的な事情が主な原因である。その事実に基づいて報道するものがある一方、「梅毒流行が激増しているための薬不足」であるかのように、実際の原因とは異なる形で伝えるものもあった。ペニシリンは細菌による感染を抑える抗生物質で、梅毒だけでなく肺炎、扁桃腺炎、中耳炎など、様々な感染症状に使われる。にもかかわらず、薬の供給不足がその国の「公衆衛生意識の低さ」と単純に結び付けられてしまうことがある。これは感染症をめぐる情報が、国や地域への評価へと置き換えられる可能性を示す一例だ。

今回の肝吸虫の事案にも同じことがいえる。特定の食習慣や一つの飲食店での衛生管理上の不備から生じた事案を、中国全体の衛生意識の問題であるかのように捉えてしまえば、そこから学べるはずのことが見えにくくなる。海外の感染症報道に接する時には、非難や優越感の材料にするのでなく、「なぜそこで感染が起きたのか」「自分たちの社会にも同じような条件がないか」を考え、「外国の問題」でなく、私たち自身の社会にも起りうる問題として捉え直すことで、より多くのことを学べるのではないだろうか。