先ごろ中国の医療専門家によって、男性のヒトパピローマウイルス(HPV)感染予防対策がはじめて提唱された。『中華予防医学雑誌』で発表された「中国男性HPV感染と関連疾患の予防制御に関する専門家提議」である。
HPVは主に性交渉によって感染し、性交渉経験のある男女の大半が感染するという。HPVには100種類以上の型があり、そのほとんどは特に問題を起こさない。また通常、HPV感染は感染後数か月から2年以内に90%が自然治癒する。しかし、16型と18型は慢性化して子宮頸がんを引き起こすことがあり、また中咽頭がんの原因ともなるので、女性だけでなく男性の健康にも影響を及ぼす。6型と11型はがんを起こさないものの、肛門や生殖器に疣贅(いぼ)のできる尖圭コンジローマという感染症の原因として知られている。この16型と18型に効果のあるものが2価ワクチン、それに加えて6型と11型にも対応するワクチンが4価ワクチンである。
日本国立がん研究センターのHPV関連がん予防ファクトシート2023によれば「子宮頸がんの95%以上は子宮頸部のHPVの持続的な感染が原因」と述べられている。HPVワクチンにはすでに感染したウイルスを排除する効果はないので、性交渉を経験する前の低年齢層へのワクチン接種が推奨される。現在、日本では小学校6年生から高校1年生の女子が対象となっている。2013年に定期接種が始まってまもなく、接種後の副反応の問題などから積極的勧奨が中止されていたが、2022年からようやく積極的勧奨が再開し、中止期間に接種対象だった世代にもキャッチアップ接種が行われることになった。
中国国内では2016年から段階的に女性を対象としてワクチンが承認されてきた。まず英国GSK(グラクソ・スミスクライン)社の2価ワクチン「サーバリックス」が承認され、2017年にMSD(米国メルク・アンド・カンパニーの現地法人)の4価ワクチン「ガーダシル」、そして2018年にMSDの9価ワクチン「シルガード9」が承認されたが、あくまでも接種対象は女性に限定されていた。また一部地域で試験的に無料ワクチン接種プログラムが進められてはいるものの、中国全体でみると自己負担での接種が基本となっている。
(注:2026年には無償で接種を受けられる「国家免疫計画」に女性対象のHPVワクチンが組み込まれると報じられている)
子宮頸がんを引き起こす確率の高さから、これまで中国でもHPV感染対策は子宮頸がん撲滅に焦点が当てられ、女性へのワクチンを積極的に推奨してきた。そのためにかえって「HPVによって子宮頸がんなどのリスクにさらされるのは女性のみ」「男性は感染しても問題ない」という誤った認識が広まったともいえる。既に述べてきたように、男性の感染は女性への伝播リスクを抱えているだけでなく、男性自身にも中咽頭がん、肛門がんなどを引き起こす原因となる。
冒頭の「提議」では、男性のHPV感染の予防戦略を策定し、科学知識の普及・広報を強化することを目指している。これまでは若年層女子のみを対象としてきた中国のHPV予防対策に、男性も組み込もうというものだ。この提議に先立ち、今年1月中華予防医学会主催で、男性のHPV感染予防に関する啓発プロジェクトが北京で行われ、MSDがこの活動に協賛している。これと同時期に中国でMSD「ガーダシル」が男性を対象とした承認を取得したことと関連しているのだろう。
この「提議」によって、中国のHPV感染対策は「男女共防」の時代に入ったとも言えるが、この背景には中国国産ワクチンの開発競争があると考える。総人口を見ても、中国は日本の10倍以上である。現在中国で18の地方政府が実施する2価ワクチンの無料接種プログラムの多くは主に中学生前後の女子を対象としているが、仮に中学一年生女子を毎年新たな対象と考えると、中国本土全体で毎年440万人が相当するという概算がある。これに男子を加えると(出生比率は女性100人に対して男性およそ105人)、毎年約900万人が対象となる。さらにHPVワクチンは年齢とワクチンの種類によって2回もしくは3回接種する必要がある。高価な外国製ワクチンだけに頼っていては経済的負担が大き過ぎる。
そこで中国国内の多くの製薬会社がワクチン開発に乗り出した。2019年に厦門万泰滄海生物技術の2価ワクチン「馨可寧(Cecolin)」が初の国産HPVワクチンとして認可された。2022年には沃森生物技術の2価ワクチン「沃澤惠(Walrinvax)」が続き、そして今年、厦門万泰滄海生物技術の9価ワクチン「馨可寧9」が承認された。これはMSDの「シルガード9」に続いて世界で二番目の9価ワクチンとなり、価格は「シルガード9」の約3分の1だという。さらに現在、その他の製薬会社が11価、14価のワクチンも開発し、臨床試験中だそうだ。このような開発競争がワクチン価格を引き下げ、男性も巻き込んだHPV感染対策を推し進める力になっていくのだろう。
私は2018年5月の本欄「海外旅行の意外な目的」の中で、当時中国国内でそれほど進んでいなかったHPVワクチン接種について、日本もなんらかの形で貢献できるのではないかと書いたことがあったが、いまや日本よりはるかに進んだ中国の現状を見て、前言を撤回せざるを得ない。